小野梓記念賞受賞
新井雄也さんインタビュー
小野梓記念賞受賞
新井雄也さんインタビュー
小野梓記念賞受賞新井雄也さんが語る、
「あまのじゃく」な探究心が拓く多読研究の本質
小野梓記念賞受賞
新井雄也さんが語る、
「あまのじゃく」な探究心が拓く多読研究の本質
教育学研究科博士後期課程を修了された新井雄也さんが、早稲田大学で学生が受賞する褒賞制度の中で最も権威ある小野梓記念賞を受賞しました。
また、学外の研究者と共同執筆された著書「Understanding L2 Proficiency:Theoretical and Meta-Analytic Investigations」が2024年度日本言語テスト学会著作賞を受賞するなど、在学中に数々の業績を築いています。
これまで、どのように英語教育の道を選び、研究に取り組んでこられたのか、同じく澤木泰代教授ゼミの後輩二人が新井さんにお話を伺いました。
小野梓記念賞受賞論文
Arai, Y. (2023). Comparability between graded readers and the Common Test in Japan in terms of text difficulty perceived by learners. Language Assessment Quarterly, 20(3), 277–295. https://doi.org/10.1080/15434303.2023.2237497
新井雄也 (Arai, Yuya)
2015年4月に早稲田大学教育学部英語英文学科に入学。2021年3月に早稲田大学大学院教育学研究科修士課程英語教育専攻を修了し、1年間の私立高校勤務を経て、2022年4月に早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程教科教育専攻に入学。2025年3月に修了。博士(教育学)。
現在、千葉大学大学院国際学術研究院で助教を務める。
研究分野は第二言語リーディング教育における多読 (extensive reading) を中心に、言語評価 (language assessment)、言語学習者心理 (language learner psychology)、研究統合 (research synthesis) など。
詳細については https://researchmap.jp/yuyaarai を参照。
外国語教育における多読研究
新井さん、小野梓記念賞のご受賞、おめでとうございます!これまでどんな研究をしてこられたか教えてください。
どうもありがとうございます!
私はこれまで外国語教育における多読 (extensive reading) にずっと興味を持って研究してきました。多読とは文字通りたくさん読むことによって外国語学習、とりわけリーディング能力の向上を図る活動のことですが、一言で「たくさん読む」と言われても、じゃあどれくらいが「たくさん」なのかというのは非常に曖昧ですね。多読の効果と多読の量の関係性について言及している先行研究はありますし、「英語を100万語読もう!」といった経験則での目安もありますが、実証研究として「これだけ読めば効果があるよね」という合意の取れた閾値や基準は(まだ)ありません。

最近私が同僚と行った研究(注1)でも、たった数冊の読み物教材しか読ませていない活動を「多読」と称して発表している先行研究が少なからず存在することがわかりました。こうした事例が示すように、「たくさん読む」という定義は多読の最も根幹に関わるものであるにもかかわらず、まだ曖昧であり、その曖昧さが「多読」という名前の誤用や濫用に繋がり、ひいては多読の効果が十分得られないことにつながる危険性も考えられます。こうしたことから、私は多読の原理原則や理論的背景といった、多読活動や多読研究の根本を批判的に捉え直すことに興味を持ち、これまで研究を進めてきました。
その多読研究を中心に、他にも様々な分野で研究をしているので、そうした学際的な、分野横断・分野融合的な視点を持ち研究に取り組んでいます。例えば言語評価 (language assessment) の分野でも研究をしていますが、言語評価の観点から多読があまり普及していないとされる現状を考察した研究が、まさに今回の小野梓記念学術賞の受賞対象となった研究論文でした。おそらくまた後ほど質問があるのではと推察しますが(笑)。
その他、学習者心理 (learner psychology) にも強い興味があります。修士論文と博士論文では、多読における英語学習者のフロー (flow) 体験を調査しました。フローはスポーツで「ゾーンに入る」とも言われる心理状態で、強い集中や没頭を伴い、技能の向上や幸福感につながるとされています。電車で本を読んでいると夢中になりすぎて、気がついたら降りる駅を過ぎていた、というようなよくある体験ですね。私も論文を書いているとフロー状態になるのですが、多読における言語学習のメカニズムを解明する上でも、フロー理論の役割は大きいのではないかと考えるところです。このように様々な分野の知見を組み合わせて、新たな発見や可能性を模索する取り組みをこれまで進めてきました。
(注1)Arai, Y., & Takizawa, K. (2025). Day and Bamford’s (2002) ten principles for teaching extensive reading revisited: A methodological synthesis of research practice. Reading in a Foreign Language, 37(1), 1–23. https://nflrc.hawaii.edu/rfl/item/629
多読と入試は相容れないのか
小野梓記念賞受賞の対象となった研究論文はやはり思い入れのある内容だったのでしょうか。
思い入れ、ありますね(笑)。この研究(注2)は元々私が修士課程の時にゼミで書いたレポートでのアイディアが基になっているのですが、当時ゼミでは言語テストの波及効果(washback) がテーマだったので、なんとかそれを多読に結びつけたいと思いレポートを書きました。多読の研究や実践は、割と多読肯定派の方々が中心となって行われてきた背景があり、そうしたいわば「信者」のような方々からは、「なぜ多読は言語学習にこんなにも効果がある活動なのに実際に多読を取り入れている授業が少ないのか」という声がよく上がります。その理由の一つとして多読肯定派の方々が挙げているのが入試の存在でした。なぜかというと、多読は「楽しみのために読む」ことを目的としており、また「簡単な読み物を読む」ことを推奨しています。入試はその真逆かもしれません。入試の対策といえば難しい文章を読む練習をイメージされるでしょうし、とてもそれは楽しみのために読んでいるとは言えないでしょう。そうした理由から入試の多読への悪影響があるのではないかとされてきました。ですが、本当に多読と入試は相容れないものなのでしょうか。入試で使われている文章は多読で使われる文章よりも本当に難しいのでしょうか。この研究では、大学入学共通テスト英語リーディングの文章と、多読用読み物教材の文章を混ぜて、出典を明らかにせず、日本人男子高校生を対象に、主観的に感じた文章の難易度を評価してもらいました。ラッシュ分析を行った結果、多読用読み物教材の比較的低いレベルの文章と入試の文章の難易度を、統計的に区別することができませんでした。このことから多読と入試は相容れないものだという考えを見直す必要性を論じています。
この研究は、私が修士課程修了後に1年間高校教員をしていた時にデータ収集を行いました。元々高校教員になろうと思って早稲田大学教育学部に入学した経緯がありますが、一度現場に出てから博士課程に1年で出戻りします。高校教員をしながら研究計画を立てて実施したのがこの研究で、教育現場と研究との間でジレンマを感じながら生きていた当時を思い出します。そういう意味ではとても思い入れのある研究ですね。また、それまでは学位論文を基にした論文の出版だけでしたが、初めて一から論文用に行った研究という意味でも、また思い入れがあります。

(注2)Arai, Y. (2023). Comparability between graded readers and the Common Test in Japan in terms of text difficulty perceived by learners. Language Assessment Quarterly, 20(3), 277–295. https://doi.org/10.1080/15434303.2023.2237497
英語教育を専攻したきっかけ
なぜ英語教育を専攻しようと考えたのですか。
先ほども少し述べましたが、私は元々教員になりたいと思っていました。両親も教員の一家でしたので、一番身近な職業だったのかもしれません。小学生の時の夢は教員か小説家で(小説家の夢は未だに燻っておりますが)、ことばというものに非常に興味がありました。高校に入ってから英文法の面白さに目覚めました。授業は日本語で、文法の問題を解いたりするうちに楽しくなり、自分も将来英語の教員になってこういう授業をしたいと思うようになりました。そこで早稲田大学教育学部英語英文学科に入学しましたが、思わぬ誤算がありました。それは、「ゴリゴリの英文法の授業は嫌われており、これからの時代はコミュニケーションだ!」という事実を知ったことでした。
元々私は英語を話すことが大嫌いでした(そして今もそうです)。元々内気な人間ということもありますが、幼い頃に友達とそのご家族に連れて行かれた英会話教室の体験で、外国人の先生に一対一で英語のフレーズが言えたら(季節柄ハロウィーンだったので)お菓子がもらえるという活動があり、恐怖ですっかり尻込みして固まってしまった記憶があります。そんなスピーキング嫌いをずっと引きずっていたので、オールイングリッシュの授業とか、会話のタスクとか、自分はそういったことはやりたくないと思うようになりました。自分がやりたかったのは英語が飛び交う授業ではなく、「何でこういう言い回しをするのか」とか、「この表現の由来は…」とか、そういうことばの魅力を伝える授業だったのです。私は挫折しかけました。
しかし私にはもう一つ、教員になるなら英語がいいと思う理由がありました。それは高校時代に「英語で書かれた本を読めるようになりたい」と思って勉強していたことでした。高校卒業後、「卒業生が在校生に語る会」のようなイベントが母校であり、私も参加しました。そこで在学生が英語の勉強法について私に質問した時、私は自分の学習経験から「とにかくたくさん読むこと」の重要性について熱弁しました。月日は経ち大学2年生の時のレポートで改めてそれについて書く機会があり、その時初めて自分の学習方法が「多読」という名前でしかも研究までされていることを知りました。「これしかない!」と思い、多読研究を「多読」する中で、多読研究に対する期待の一方で批判できる点も多く見つかり、それを突き詰めて行こうと思うようになりました。そして現在に至るわけです。
多読研究の魅力ー研究が実践に与える影響力
どのようなきっかけで、多読に興味を持たれましたか。また、多読(研究)の魅力はどんなところでしょうか。
自分は言語を問わず幼い頃から本が大好きでした。高校に入学すると英語教室に多読本が鎮座しており、自由に借りてよいことになっていました。授業として多読が行われていたわけではありませんが、長期休暇には多読本が配られ、読んでくる宿題が課されました。「英語で本が読めるのか!」と感動した記憶があります。そこからもっとたくさんの英語の本を読んでみたいと思うようになりました。もちろん英語の勉強にもなるということで、まさに一石二鳥でした。
リーディングは好きで、これを話すと多くの人に引かれるのですが(笑)、高校3年生の時は、誰よりも早く登校して(冬などはまだ星が出ていました)、誰もいない教室で一人英字新聞を読んでいました。大学に入ってからは英語の小説を読むことを習慣として、学部生の時は300冊近い洋書を読んできました。本を読むことも好きですが、本そのものが好きという方が近いかもしれません。本の紙質や表紙のデザイン、文字、そして香り。ここまでくると変質者ですが(笑)。ともあれ、特に洋書はデザインも本それぞれに個性があり、それを楽しむという目的もありました。
そうした興味に加え、先ほど述べたように自分が多読というものを英語学習者として自ら実践してきた経緯もあり、大学でそれが学問になっていることを知り、運命を感じることになりました。
多読の魅力は今述べたようなややマニアックなところがあるのですが、多読研究の魅力というとまた話は変わってきます。先ほども少し述べましたが、多読の研究や実践の多くは、多読推進派の方々によってなされてきました。そもそもご本人が多読家であったり、また多読をある程度「信奉」しているとも言える先生方によって多くの多読活動・研究が実践されてきました。私はあまのじゃくなので(笑)、多くの人に人気のあることや「正しい」と信じられていること、影響力のあるものに対して批判的になることがよくあります。そういう意味で私にとっては研究課題を多く見つけることのできる分野であると思っています。
今のは私が個人的に感じている職業的な観点からの魅力ですが(笑)、もちろん多読研究そのものの魅力も大きいと思います。例えば、多読研究はその性質上実践と親和性が高いと言えます。理論と実践の乖離、研究の教育的示唆の乏しさなどがしばしば議論になることがありますが、多読研究が多読の実践に与える影響は非常に大きいと思います。そのことはやはり研究者として大きなやりがいだと考えています。

論文を書く楽しさと「自分の生きた証」
新井さんにとって、研究を続ける原動力は何でしょうか。
大学生になった甥っ子にも最近同じ質問をされました(笑)。やはり研究が楽しいからだと思います。今でも(それが良いか悪いかは別として)平日休日見境なく研究していますし、研究はもはや趣味であると言えます。高校教員をしていた1年間は、数少ない休日に息抜きとして研究をするという生活でした。研究が楽しい理由は色々あるのだろうと思います。もちろん研究がいつもスムーズに進むわけではないですし、「楽しい」という感情とは似つかない状態になることもしばしばあります。それでも全体を通して楽しいと思えるのは、自分の知的好奇心もさることながら、「自分にしかできない仕事」という自負があるのだと思います。数多の研究者がおり、多読研究にも多くの研究者が従事していますが、自分の感性や価値観、物事の考え方が唯一無二であると(半ば強引に)信じていますし、自分にしか貢献できないことがあると考えています。誰にでも務まる仕事ではないからこそ、そこにやりがいや意義を見出すことができるのだろうと思います。
あとはそうですね、論文を書くということもすごく楽しいですね。書いている時は一番フロー状態になりやすいです(笑)。元々小説家になる夢があったぐらいですから、形は違えども物書きができる職業に就いたことは本望です。論文と小説はジャンルも文体も異なりますが、私は論文も物語だと思っています。多作の作家になりたいですね。そんな欲求こそ原動力なのかもしれません。

研究をしていて良かったと思うことは何ですか。
様々な場面で良かったと感じますが、一番はやはり自分の研究が世に出る時だと思います。どんなに苦しくてもその瞬間で全てが報われたような気持ちになって、また頑張ろうという気持ちになります。中毒のようなものですね(笑)。もちろんそうした研究が広く注目されたり、社会に役立ったり、そういうことの方がより重要だと思いますしそうしたいですが、まだまだ経験も業績も浅い研究者ですので、今は自分の研究を世に送り出すことで精一杯という側面もあり、単なる自己満足に見えてしまうかもしれませんが、今は自分のするべきことを積み重ねていき、その延長線上により良い楽しみが待っていると信じています。
あとはやはり自分の生きる意味を見つけたということでしょうか。私は趣味という趣味がなく、その代わり平日休日見境なく研究していますし、研究がもはや趣味と言えるかもしれません。そしてそれは生産的な活動であり、「自分の生きた証」みたいなものを後世に残すことができるので、やりがいを感じています。元々高校の教員になろうとしていたわけですが、教員の過酷さなどを目の当たりにして思い悩んでいたところ、研究という仕事に携わるチャンスに恵まれ、まさに水を得た魚のように自分の実力を発揮することができる環境に身を置くことができたこと自体に、今はただただ感謝の念でいっぱいです。
研究をする中で、壁にぶつかった時、どのように乗り越えてこられましたか。
これは研究でもそうですし人生における悩みについてもそうですが、私はよく散歩をして乗り越えてきました。変な人ですけど一人でぶつぶつ言いながら歩く時もあれば、とりあえず無心に歩いたりもしますが、そうした中で「ああこうすれば良かったんだ」と解決策が生まれたりします。もちろん何も出てこない時もあります。そういう場合はしばらく寝かせておくことが多いです。夜も眠れないほど考えすぎてしまう性格なので、寝かせておくといつの間にか発酵していて、思わぬアイディアが出てきたりします。本人もよく寝ます(笑)。寝付けないことがよくある人間なので、睡眠時間はなるべく長めに確保するようにいつも心がけています。睡眠時間が自分の思考力を支えていると思っているので、蔑ろにできない時間です。
あとは問題にもよりますが、「どうにかなる」と楽観的になることも大事だと思います。私は半分が几帳面で神経質な性格で、残り半分がものぐさな性格の人間です。「まあきっとどうにかなる」と言い聞かせて、うまくいくとしばらくは「無敵モード」に入り、そうすると意外とサクサク進むこともあります。
自分はあまり人に相談できるような性格ではありません。自分で悩み抜き考え抜いて決断を下していく、と言えば聞こえは良いですが、その過程は寂しく、孤独で、不安でしかありません。それでもここまでやってこられたのですから、「なんとかなる」精神は意外と説得力があり腑に落ちる時があります。
学部から博士課程までー早稲田大学での9年間
新井さんは学部から大学院まで早稲田大学で研究を続けてこられましたが、早稲田大学でよかった、と思うところを教えてください。
まさに今早稲田を離れたことによって、「ああ早稲田はすごく良かったな」としみじみ感じているところです。学生として研究に没頭できる環境やリソース(図書館は圧巻です)が充実していることはもちろんですが、一番は「学生・教員がお互いに刺激を与え合うことができる環境」だと思います。私は教育学部から教育学研究科と進んできましたが、やはり名だたる先生方から学問や研究についてご教授いただける点は非常に刺激になりますし、自分の研究者人生における目標やロールモデルを見つけることができます。そして、学生同士切磋琢磨できる環境でもあると思います。同期の活躍や先輩後輩との対話を通じて、自分も負けてはいられないと奮い立ちました。やはり自分の身近にそうした研究者が多くいることは自分のやる気につながりましたし、自分の存在も誰かのやる気につながっているのかもしれないと思うと、さらに頑張ろうという気持ちになりました。研究を続けていく上で非常に生産的な環境だったと思いますし、早稲田大学が今後もそういう環境であり続けることで一人でも多く優秀な研究者を輩出してもらえたらと思います。
私は学部入学から博士課程修了まで、早稲田に10年間いたことになります(途中1年間は高校教員でしたので、実質9年ですが)。ですので、早稲田への思い入れは人一倍強く、様々な思い出がありよかったと思うことも多くあります。一つ例を挙げるのであれば、早稲田大学を中心とした「街」ですね。大学と周辺の地域が一体となった雰囲気の中で、大学周辺をよく散歩したことが私の青春です。研究や人間関係などで悩んだとき、決まって私はふらついていました。地下鉄の駅はすぐ近くにありますがあえて高田馬場駅まで歩いたり(いわゆる「馬場歩き」ですね)、ちょっとした小道に迷い込んでみたりして「街と対話」していると、自分の悩みがちっぽけなものに感じられたり、「西北の風」を浴びて少し気分が楽になったり、そして(先ほども述べたように)問題への解決策が浮かび上がってきたりするのです。ほどよい喧騒の中に静寂と温かみが併存し、街全体として早大生を支え育もうとする空気が、私を幾度となく慰めてくれました。良い大学には必ず、「歩く環境」が整っていると思います。「馬場歩き」という早稲田用語には、単に物理的な移動を指すだけでなくそれ以上の意味が込められているのではと私は解釈しています。早稲田大学で良かったと思います。
海外経験なしで英語論文を書くスキル
新井さんは留学のご経験はなく、生粋の日本育ちとのことですが、これまでどのように英語を勉強してこられましたか。また英語で論文を書くスキルはどのように伸ばしてこられましたか。
はい、生粋の「純ジャパ」ですね(笑)。昨今は留学の重要性が叫ばれており、学部生全員留学を謳う大学も少なくありません。留学の言語学習的な効果はさておき、確かに留学することで貴重な経験を得ることができるでしょう。一方でこれは私見ですが、留学は強制するべきものではないし、私のように英語を話すことが好きではない学生も、外国があまり好きでない方もいると思います(早急に付け加えたいことは、好きじゃないから行かなくて良いという主張ではありません。あくまで多様な選択肢を与えるべきであり、留学していないからダメという本質から外れた強制性を持たせることに疑問を抱くということです)。外国語リーディング指導に関する有名な書籍を執筆されたChristine Nuttall先生はかつて、“The best way to improve your knowledge of a foreign language is to go and live among its speakers. The next best way is to read extensively in it.”とおっしゃいました (Nuttall, 2005, p. 128)(注3)。先述のとおり私は多読という研究に出会う前から自ら多読のようなことを実践していましたので、そのことが英語力の向上に寄与したのだろうと思います。学部の時は英語を話す授業や英語だけで行われる授業の履修をなるべく避けていた自分ですが、多読により音声面でも必要最低限の英語は身についたのかなと思うと非常に面白いですね(もちろん様々な要因があり今の自分の英語力になっているとは思いますが、多読がどのように音声面での能力向上に結びつくのか、研究テーマとして今後解明していきたいですね)。
英語で論文を書くスキルは、やはり論文を書いていかないと身につかないと思いますし、自分はそのようにしてきました。先述のとおり元々書くことが好きで、学部に入りたての時は小難しい表現を使って半ば衒学的に文章を書いて「どうだ」とひとり悦に入っていました。それから澤木先生のもとで論文の書き方を学んでいくわけですが、そこで簡潔でわかりやすくロジカルな文章を書くことの大切さに気づき、晦渋な文章を書くことがいかに自己満足だったかと思い直しました。当時たくさん赤が入れられた原稿も、研究を続けていくうちに少なくなり、ある程度読みやすい文章を書くことができるようになったのだろうと信じています。ある時とある先輩研究者に自分の原稿を、「まさにReading教材のような表現の巧さが素晴らしかったです。さすがリーディング研究者!」と評していただき、大変ありがたく感じました。あとは論文の「多読」ですね。多読することで表現の付随的学習だけでなく、(やや非科学的な物言いですが)文章のリズムやニュアンスを体得することができると思います。
(注3)Nuttall, C. (2005). Teaching reading skills in a foreign language (2nd ed.). Macmillan.

海外の論文出版への挑戦
博士3年目修了時点(学位取得時点)で多くの英語論文を既に海外で出版しておられますが、これから出版を考える学生に伝えたいことやアドバイスはありますか。
そうですね、とにかく挑戦することでしょうか。有名なジャーナルで「自分の研究はこのレベルではないかな」と思っても構わず提出してみること。提出するのは多くの場合無料ですし、もちろんそこで論文が採択されれば最高ですが、一度査読に回れば、その分野の専門家から多くの場合丁寧なフィードバックが返ってきます。失うものはありません。論文の出版に少し余裕が出てきたら、「自分の研究を一番伝えたいオーディエンスはどこだろう」ということを考えると良いのではと思います。もちろんハイインパクトジャーナルを目指すことも良いですが、どのようなジャーナルであれ自分の研究を最も届けたい読者に届けることが研究者としての使命であり、同時にやりがいにつながると思います。
書くことについて。中には書くことに対して苦痛だと感じる方もいらっしゃるかもしれません。よく聞くのは毎日10分15分でもいいからコツコツ書く習慣を身につけた方が良いということですね。もちろんそれでうまく進む方もいらっしゃるでしょう。しかし私の場合は書くときにフローに入るので、10分15分でやめようと思ってもやめられないし、ある程度まとまった時間が確保できる時でないと書くことはしません。隙間時間で書いてしまうとせっかくフローに入っているのに中断せざるを得なかったり、フローに入る前に終わってしまうので、書く作業が文字通り「作業」となってしまい楽しくなかったりします。
どのようなスタイルであれ、執筆のための環境を整えることは大事かもしれません。私は自分の書いた原稿への査読者や先生からのフィードバックを見るのが心臓に悪く(笑)、結構先延ばしにしてしまう悪い癖があるのですが、そういう時はお気に入りの曲を流したり好きな飲み物を手に取ったりしながら、「確認だけしたら今日のノルマは終了!見るだけで良いのだ」と自分に言い聞かせてチェックします。自宅以外でもカフェや図書館、ホテルなど色々な場所を使って書きましたが、自分なりの環境を模索しているうちに、なんだか面倒になって、結局自宅で執筆が捗るということもありました。私も未だに正解に辿り着いていませんが、正解に辿り着かない状態もまた一つの正解なのかもしれません。
出版を目指す中で、もちろん頑張ることも大切ですが、同時に頑張りすぎないことも重要だと思います。昨今SNSでは「〇〇先生のご研究があのXXXX誌で発表されました!!」云々という報告をよく目にすると思います。それで「ああすごいな、自分はどうなんだろう」と自信をなくしてしまう方もいらっしゃると思います(私はそのタイプの人間です。それもありSNSをやろうとは思いません)。他者と自分を比べることは時として強い動機づけになりますが、その副産物も大きいものと言えます。他人は他人ですので、焦る必要はないし、自分のペースで良いと思います。自分にしかない魅力や強みが必ずあります。それを見つけたり磨いたりするために時間を使うことが非常に大切です。大切なことは他者に影響を受けつつ、かつ受けすぎないことだと思います。
研究の計画から実施、そして出版までの過程では一喜一憂することもありますし、喜怒哀楽様々な感情が渦巻き、まさにemotional rollercoasterと言えるかもしれません。それでも無事出版された時の喜びは唯一無二の体験だと思います。ぜひ挑戦をお勧めします。
あまのじゃくに、本質的な問いを探究する
今後について、どのような研究展開をお考えでしょうか。挑戦されたいことなど、ぜひ教えてください。
私は今後も多読研究にライフワークとして取り組んでいきたいと思っています。私の場合多読の普及や推進というのが一義的な目的ではなく、多読が言語学習に役立つメカニズム、すなわち多読はどのように言語学習を促進していくのかという、多読そのものの本質的な問いを探究していきたいと考えています。
やってみたいことはたくさんありますが、次の私の研究のキーワードは、「なぜ多読は効果がないのか」だと思います。「?」ですよね。多くの研究で「多読は言語能力向上に効果がある」と報告されてきましたので。

うんざりするぐらい、どの研究でも、多読はすごいとか、多読はやっぱりいいよねとか、少しきつい言い方になりますが、そういった信念を元々持つ方々がそれを「再確認」するための研究としか思えないような、ほぼ一色に塗りつぶされた分野が多読研究だという認識を私は持っています。私はそうした「イエスマン」思考では多読に関わる本質的な問いは解決できないと考えます。確かに多読を行ったところ、40人のクラスのうち35人ぐらいの事後テストは統計的有意に上昇しているかもしれません。では残りの5人はというと、これまでの多読研究ではこうした人たちは見落とされてきました(あるいは意図的に無視されてきたのかもしれません)。「多読が効果を発揮しなかった学習者」をつぶさに観察することで、逆説的かもしれませんが、多読がなぜ効果的なのか、多読がどのように言語学習を促進するのか、という問いへの答えに近づけるのではないかと考えています。ひねくれた考え方を持つ私だからこそ取り組める課題だという自負を持ち、今後も多読研究を続けていきたいと思います。そして学際的な視点はこれからも常に持ち続けていきたいと思います。分野横断型の研究をすることで、まだ見ぬ問いに挑んだり、新しい化学反応を引き起こしたり、そんな楽しさをこれからも味わいたいですね。
とはいえこれからのことはわかりません。早稲田大学に入学した時、10年後の自分がこうなるとは全く予想していませんでした。この先5年後10年後、どんな自分になるのか、気負いせずその行く末をただ見守っていきたいと思います。
謝辞:澤木泰代先生には、本記事の計画立案から監修まで大変お世話になりました。また、藤田祐美さんと溝口龍平さんには、本記事のインタビューならびに内容の編集をご担当いただきました。この場をお借りして皆様には心より御礼申し上げます。(新井)
聞き手・記事編集:
藤田祐美さん、溝口龍平さん
(教育学研究科博士後期課程)
